“彼女”という人。

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桜の花びらが散るのが目立つようになった今日この頃。“あの”入学式 からまだ3日しかたっていないのに、こんなにたくさん散っているという事は今年は暑くなるのが早そうだというような気を起こさせる。 「…わぁ‥」 莉音は自宅にある防音室に入っていた。この部屋に最後に入ったのは恐らく、幼稚園の頃。母がまだ産休をとっていて自分と一緒に居てくれた時だ。母がピアノやバイオリンを教えてくれたり、自分が楽しく歌ったりした楽しかった思い出の詰まった場所。なんとなく母と滅多に会わなくなってからこの部屋に入るのは避けていたのだが、今日は勇気を持って入ってみた。もしかすると入学式の時に出会ったあの少年──一至に感化されたからかもしれない。 「すごい…昔みたいに綺麗なまま‥」 恐らく家政婦の人が掃除だけはしておいてくれたのだろう。塵や埃1つない綺麗な部屋のままだった。窓の縁にあるピアノに目をやると懐かしい気持ちでいっぱいになる。 「早起きは三文の得…だったっけ‥?ふふっ」 楽しかった思い出が頭の中に蘇ってきてついピアノに手を伸ばして開けようとしていた。 「お嬢様ぁあああっ!」 「ひゃっ?」 急に開いたドアと叫び声に莉音はびっくりして思わずビクッとして手をぱっと離してしまった。 「こ、こんな所にいたんですかお嬢様っ…」 「ひ、聖さん‥お、おはよう…ございます‥」 「そんな可愛らしく“おはようございます”じゃないですよぉおっ?!俺がどんだけ探したと思ってるんですかぁあっ!?」 「ご、ごめんなさい‥ちょっと早起きしちゃって…散歩してたらこの部屋が懐かしくなっちゃって‥」 聖の様子にたじろいてしまったのだが、莉音は素直に謝った。防音室に入ってしまうと外部との音が全て遮断されてしまう。そのせいで聖が探してくれている事にまったく気付けなかった。 「お嬢様…もう音楽をやるおつもりないんですか?」 「え?」 「あんなに音楽を愛してらしたじゃないですか‥またやりたいと思わないんですか?」 ふいに問いかけられて莉音は動きを止めた。確かに“音楽”は好きだ。でもそれは母のいる“世界”に身を置く事になる。 「思って…ないですよ?」 「お嬢様!もしやりたいのなら」 「遅刻、しちゃいますから…」 振り切るように莉音は部屋を出た。
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