沈む太陽

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 それから何度も何度も地面に拳を打ち付けた。 みるみる赤く染まる拳に異常を感じた通行人に止められるまで。 俺は名も知らぬ通行人をふりほどき、逃げるように酒場へと向かった。 血で拳の濡れた俺が酒場の門をくぐると、すぐに受付嬢が声をかけてきた。 荒れ狂う心臓を落ち着かせ、ハーヴェルトの元に連れて行くように伝える。 既に何らかの指示を受けていたのか、受付嬢はハーヴェルトの部屋ではなく、貨物搬送用の裏口へと案内した。 既に荷台に道具を満載した馬車が停まっていた。 「準備はできたのかね」 背後からの声に振り向くと、ギルドナイトを引き連れたハーヴェルトが遅れて到着した。 二人のナイトはそれぞれ違った大きさの木箱を抱えている。 「…それが防具と武器か?」 「そうだ、調整は終わったが、装備するのはシュレイド城に着いてからの方がいい…忠告しておく」 そして二人のギルドナイトは木箱を荷台へと積むのだった。 「…まだ未練がある顔をしているな」 ハーヴェルトの鋭い視線が俺を射抜く。 「…生きている限り未練ばかりだ」 「本当にこのまま出発していいのか」 「…構わない」      問われると俺は即座に答えた。 もし、もう一度彼女に会いに行ったらきっと二度と戦えないだろう。 それはきっと幸せな事だ。 ずっと求めてきた事だ。 だが俺はフロストという個人として、此処にいる。 「戦う為に、俺は此処にいる」 過去の因縁を全てを清算するために。 「よくぞ言った。愚かだが君は紛れもないハンターだ。 人として、龍兵として、ハンターとして、存分にミラボレアスに挑むがいい……」 ハーヴェルトはそう吼えると煙管に火を灯した。 「ハンターに幸あらんことを」 荷台に乗り込んだ俺にハーヴェルトはそう囁く。 全ての準備を終えた馬車はゆっくりと、シュレイド城に向かい走りだすのだった。 時は既に日没。 燦々と照らしてくれた太陽の姿は最早なく、漆黒の空には月が浮かんでいた。
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