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視界に広がったのは爛々と輝く満天の星空と満月。
つい先ほどまで黒翼を視界に捉えていたはずなのだが、どうもおかしい。
その疑問は全身を打ち付けられる衝撃でようやく状況を理解するに至る。
切り掛かりに行った俺は一太刀も浴びせる事なく、奴の尻尾に打ち払われ宙を見ていたのだった。
「―――野郎っ…」
言葉を吐くと同時に、口の中に鉄臭い味がした。
どこか切れたらしい。
だがそんな事に気をつかう程余裕はない。
倒れてしまった隙を一刻も早く埋めようと直ぐ様立ち上がるが、奴は追撃をかけるどころかその場から微動だにせず、じっとこちらを見つめている。
その気になれば蛇の様に細長い身体を地面に這わせ、強靭な顎で俺を喰い殺す事など造作もなかっただろう。
「隙なんか狙わなくても余裕ってか…?」
自然界の捕食者は我が子に狩りの方法を教える時以外は獲物殺し、喰う事だけを考える。
人間の様に他の命を奪うのに様々な理由は要らない。
もし敵がリオレウスやその他の飛竜であったとしてもあの隙を見逃しはしなかっただろう。
だが奴は確実に殺れた獲物をわざと見逃した。
つまりいつでも気が向いた時に殺せる程度の獲物としか認識されていない。
今まで何十もの飛竜を下してきたこの技術は、奴を葬る為だけに磨いてきたものだった。
それは今まで殺めた命も、この十年の大半を費やした時間全てさえも、師であるエリシアの教えさえも否定された事でもあり、それが何より許せなかった。
「――やる、殺してやる、殺してやる」
頭へ流れる血液の巡りが普段よりずっと良くなっている。
冷静でない事など自分でもわかっていた。
だが、今まで刻んできたまだ短い人生には大き過ぎる十年間もの執念と、誰より敬愛する師の記憶を汚されて冷静でいられるほど賢い脳は持ち合わせてはいない。
そして二つの眼球に映る世界は色素を失ってゆく。
師を失ったあの時と同じ様に。
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