六幕 狐の回想

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   神通力を授かりますと段々と食事の必要もなくなってまいりまして、まず餌を獲ろうという気が起こらなくなります。  そうなりますともう獣らしい生活は送れないもので群れを離れてひとりでふらふらと暮すようになりました。ただの狐であった頃には考えもしなかったことを考え、見向きもしなかったものに心を動かされるようになりました。とりわけ、人というものは興味のつきないものでございます。しかし町中に獣が下りていくのは危険がつきものです。私は身を犠牲にしてまで、人を間近で見てみようとは思いませんでした。  私の好奇心は時々この辺りへ釣りにやって来るお武家様を見つけることで落ち着いたのです。そう、貴方様のことでございます。  貴方様は魚が餌を持っていくのも気づかずに一日針を垂らし、それでも夕方になると満足そうにして帰っていきました。私は貴方様のそうした大層のんびりしたところが気に入ったのでございます。私はその後も何度となくこの川原へ訪れ、貴方様がやって来るのをお待ちしました。滅多にお見かけすることはありませんでしたが、貴方様を待っているという状態だけでそれはもう私にとっては特別な時間だったのでございます。  うたた寝している隙におそばへ近づいてみたり、時には魚がかかるよう念じてみたりと貴方様が気づかないまでも私は貴方様と過ごす時間を楽しんでいたのでございます。  そしてあの日、今思えばあの日はなんとはなしに朝から貴方様にお会いできるような予感がして胸が軽くなっておりました。そんな風に浮ついていたから、罠にも気づかなかったのでしょう。  自分のために神通力を使うわけにもいかず、弱り果てていたところ、貴方様に助けていただいたというわけです。うっかり貴方様に見惚れてしまった私が普通の獣がするように逃げ出そうとして見せると、貴方様は困った顔で考え、狐である私を真摯に説得しようとなさいました。  まるで私が人であるかのように貴方様は扱ったのです。その時私は初めて人になりたいと思ったのです。そしてもし人として生きるならば貴方様の傍で、そう思ったのです。  
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