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大家の家へ向けて歩いていると川沿いに植わっている柳の下に大家を見つけた。落ち着かない様子で川面を眺めているが、ちらちらとこちらを見ているのであちらも気づいてはいるのだろう。早足で近づき、軽く頭を下げる。
「吉兵衛殿。既に耳に入っているかもしれぬが、この娘フサといって――」
「ああ、ああ噂に聞いているよこれがその娘さんかね。へぇ、聞いた以上の別嬪さんだねこりゃ」
こちらの言葉を遮って急き気味に話す。相変わらずのせっかちだがきびきびとした喋り方がいかにも商人らしい。以前は材木を扱っていたらしいが、三十を過ぎてからはさっさと家業を弟に引き継がせて長屋の大家などをしている変わり者だ。
「フサと申します」
おフサは深々と頭を下げ、吉兵衛は満足げに何度も頷いた。
「それで、日取りはいつにするんだい。高田先生には家族がいないから、汚い連中だが長屋総出で祝わせてもらうよ」
日取りというのは、話が一人歩きしていることを考えると祝言のことだろう。吉兵衛が管理している長屋は相当数あるので今の言葉が本当なら大変なことになる。それについてはひとつ断っておかなければならない。
「あ、いや。それについてはまだ決まったわけではないのです。夫婦になるといっても、これはまだ子供故――」
「子供って、いくつなんだい」
おフサはおそらく“百”と言いかけた口を閉じ、恥じらいを見せながら「十六です」と答えた。
「なんだ、輿入れするには充分な年じゃないか」
「あー……親族が決めたこと故、これの気持ちというのも考えてやりたいと思いまして」
おフサは反論しようとしたが、目でこれ以上話をややこしくしてくれるなと訴えると悲しそうな顔をして黙った。
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