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長屋へ戻ってくると、おかしなことになっていた。部屋が空になっている。つづらから布団まで消え失せ、もとから殺風景だった部屋がすっからかんだ。
泥棒? そんなはずはない。盗んで生活が楽になるようなものは一切持たない。ならば立ち退きか。確かにここへ越してきてからまともに店賃を払ったことはないが、つい先程大家の吉兵衛に会った時にはそんな素振りは見えなかった。
「高田様、これを」
おフサが下を指した。地面に矢印が書いてある。
なにかはわからないがそちらの方に行けということだろう。家具が戻ってくることを期待しながら進むと、やがて人だかりが見えてきた。女衆が集まっていて、なにやら荷物を出し入れしている。
「あ、先生もう戻ってきたよ!」
おサキの大きな声で迎えられる。部屋の前に置かれているつづらには見覚えがあった。
「これはどういうことか」
「ばれちまったねえ。先生がおフサさんを案内してる間に全部済ませとこうと思ったんだけどさ」
だからどういうことかと繰り返す前に部屋から吉兵衛が出てきた。
「おサキさんを責めないでやっておくれ。私が皆に頼んで荷物を運んでもらったんだ。先生にここを使ってもらおうって。嫁を迎えるお侍様があんな所に住んでちゃいけないからね」
部屋はもとの部屋がみっつはゆうに入る間取りで、それに二階屋だ。
「しかし、店賃が……」
「いやなに、ここはもう長いこと空いていてね。長く空いてるとあそこは幽霊でも出るんじゃないかって妙な噂が立つもんだから、高田先生に住んでいただけると私も助かるんだが」
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