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吉兵衛が管理する長屋は道楽でやっているものだから安く部屋が空いてもすぐに埋まることで有名だ。なのでそれほど長く空いているはずもなく、第一同じ長屋なのだからついこの間まで人が住んでいたことは知っている。
「前に済んでたご隠居さんが荷物を置いていっててね、必要なものがあるならそのまま使っておくれ。いらないものがあるなら誰かに運ばせるから」
否定の言葉は飲み込んで、頭を下げた。
「かたじけない。荷物を運んでくれた皆も、すまなかった」
「なに言ってんだい先生。荷物なんてほとんどないじゃないか。いつも子供らの面倒見てもらってるんだから、これくらい構わないさ」
笑いが起こる。皆心からそう思ってくれているようだ。
「先生がいなきゃ、私ら子供に勉強なんてさせる余裕ないんだからさ」
確かに、恩を返す方法があるとすればそれしかないだろう。
「おサキさん。今日休むこと、もう子供たちに伝えてあるかな」
「まだだよ」
「それなら休むことは伝えずに、場所が代わったことだけ伝えてもらえるだろうか」
「まさか先生、ここでやるつもりかい?」
「これだけのものを自分たちのためだけに使ってはもったいない」
これまでは厩や表で教えていたので風が吹くと難儀した。ここなら落ち着いて本を開いておけるし、肩を寄せ合えば子供たちなら三十人は入るだろう。いちどきに集まる人数は限られているので充分だ。
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