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長屋の戸をくぐる前に、なにかあったということは察することができた。
この辺りの子供たちのまとめ役で指南所へも通っている宗太が、周到に見回して私を発見するや駆け寄ってきたからだ。
「先生早く!」
なにがあったかを尋ねても、宗太は言いにくそうに口をつぐんで私の袖を引っ張った。
長屋の連中が落ち着かない様子で表へ出ていて私を皆が振り返り気の毒そうな視線をよこした。
胸が騒ぎ始める。
部屋の前で、おサキが泣き崩れていた。
「なにがあった」
尋ねてみてもすっかり取り乱していて私のことがわかっていない様子だ。
仕方なく、宗太に尋ね直した。
宗太は十を過ぎたばかりの子供だが、目端の利く油断のならない賢さがある。
将来は商家に奉公に出される予定なので、きっと成功するだろうと期待されていた。
「おフサさんが連れてかれたんだ。
ヤクザもんがどやどや長屋にやって来て、仕事してねえ旦那方が止めに入ったんだけど、駄目だった。
今吉兵衛さんが名主に掛け合ってる」
血の気が引く思いがした。おフサ自身の心配をする必要もなければ無茶をする心配もないだろう。
しかし、一体なにがどうしてそういうことになったのか。
「私に心当たりがあるよ」
隣からお京が顔を出した。その場の視線が集まっても、たじろぐことなく受け止めている。
「見たことのある顔だったんだけど、あたしが出て言うことを聞くような連中じゃなかったんでね、ごめんよ」
「それは構わない、それよりおフサが連れて行かれた場所に心当たりがあるなら教えてほしい」
「川向こうだよ」
区画整理で防火と防犯を目的に州へと追いやられた色町の別称だ。
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