第二講:事象の直接要因と付属要因

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世の中の事象にはそれが成り立つ上での直接要因と、ただその事象にも付随しているだけの付属要因がある。 犯罪者が犯罪を起こすのはそれぞれ何らかの直接要因に起因しているのだが、付属要因を直接要因とを勘違いしてはいけない。 今把握している要因がどんな要因であるかを吟味することが哲学というものの在り方のひとつである。 それでは人が犯罪を起こしたくなる要因はどんなものがあるのだろうか。 例をひとつ挙げてみよう。 ・貧乏で腹が減り盗みを働いた これは犯罪が起きた事象として筋が通っている言えるだろう。 腹が減っても盗みを働かない人で飢え死にした人も居るだろうが盗みを働いた人が居ないという説明にはならず事実上こう言った人は存在していることからである。 この例を前提とした場合、貧乏で無ければ空腹で盗みを働くことはない。 つまり犯罪が起こる直接要因は貧乏であると言えるはずだ。 さてここで違和感を覚えないのならばまだまだ哲学が身に付いていないのだと自覚しなければならない。 例をもう一度良く読んで欲しい。 貧乏が直接的に関係しているのは盗んだということではなく空腹であるということにである。 ここで貧乏だから空腹になるなんて安直な結論を導くようではいけない。 何故か。 それは貧乏の対極に位置する要因である裕福と貧乏とを置き換えればよい。 その時に事象が逆転すれば真であるといえるはずだ。 裕福であれば空腹にならないのならば貧乏は必要要因だと出来る。 では裕福ならば常に満腹だろうか。 それは生きている限りありえない。 では空腹になっても盗みを働かないと言えるだろうか。 金で物を売ってくれる店がなければ盗むしかなくなる。 船が難破し数人で無人島に漂着しようものなら金を幾らもっていようとも盗みを働くと言えるだろう。 もしそこで盗みを働かないのならば貧乏でも盗みを働きはしないはずだ。 つまり貧乏や裕福は盗みという事象の付属要因であると言える。 では直接要因は何なのか。 それは犯罪者それぞれによって違うように感じるが共通点を敢えて探せば罪を犯してはいけないという自己の正義が負けたということだろう。 ならば正義の対極にあるのが犯罪の必要要因だ。 それは何であるのか。 これは欲望と呼ばれるものなのではないだろうか。 すると正義は自制心になるのか。 紙面が尽きたので本日の講義はここまでとする。
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