解説

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実戦・評価1                                       九五式軽戦車が本格的に投入されたのは1939年の『ノモンハン事件』(←作者は中学に上がるまでノンモハンだと思っていた勇者だったりする)であった。                    同戦闘では三両一組の陣形を組む小隊戦闘によりソ連戦車(BT-5、BT-7)を撃破した。                      しかし、この時相手にしたソ連戦車は『快速戦車』という九五式軽戦車とにた性格であったため、装甲厚が九五式軽戦車とさしてかわらなく、非力な37ミリ戦車砲でも破壊できたことと、戦車兵の方々の『猛訓練』により無線をつかわずとも『以心伝心』に近い状態で戦闘を行なえたところが大きいと言える。                           実際『大東亜戦争(太平洋戦争)』が始まると九五式軽戦車は苦戦を強いられることとなる。しかし、その前の『日華事変』(日中戦争)では高速性をいかした『敵陣突破作戦』に威力を発揮した。(支那戦線(中国戦線)では九五式軽戦車に対する驚異が地形以外には少なかった)        話を戻して大東亜戦争では、小型軽量の特性を生かし、進撃以外にも南方離島へ輸送され、離島防衛にも使用された。                      進撃ではエンジンの故障が少ないという信頼性・稼動率の良さにより、長距離走破を敢行。マレー作戦、比島(フィリピン)攻略戦等において大活躍した。        ちなみにマレー半島からスマトラ島へ転戦したことにより2000km以上を走破した車体もあったらしい。                しかし、零戦と同じく、その完成された車体が本車に悲劇をもたらしたのも事実である。     その悲劇は優秀すぎるが故の後継戦車開発の遅れであった。   それにより兵器発展時代にも関わらず10年にわたって酷使され損害をだしている。        サイパン島玉砕等が例になるだろうか?                           ちなみに何度も言うが採用時では他国に劣っていたわけではない。
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