賤ヶ岳に散る夢 ―激闘―

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繁が記した40ページに渡るレポートのある1ページに、悠馬の目が止まった。 『源頼義の第一子で嫡男・源義家の異母兄に当たる源義晴ヨシハルは14歳の元服の際に、従六位上紀伊介を叙任し、手勢400騎を率いて紀伊に入国。 清和源氏嫡流・源頼義の子ということもあり、国府高官から非常に優遇された。 また、天皇から国府に直々に、優遇を促すかのような綸旨が下っていた。 これは、源義晴の生母が天皇に限りなく近い血縁の皇族であったためと考えられる。 さらに、源義晴は、18歳の年、従四位下右近衛少将に任官しているが、朝廷から下された文書には、「葛城宮晴仁武親王源義晴」 という見たことのない表記があり、「武親王」という表記も見慣れないものである。 しかし、これらの表記や天皇の綸旨が、源義晴の血統が、生まれながらにして朝廷が認める正統な清和源氏嫡流である証拠と言える』
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