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「鈴鹿」
物思いに耽っていた意識を呼び戻した声に、鈴鹿は視線を上げるとわずかに瞠目した。
油性マジックを持った手が、顔面の10センチ手前で静止している。
その手の主――弓木はミッションの失敗を物語る苦い顔をし、鈴鹿の危機に際して声をかけてくれた救い主――和泉はあからさまにホッとした顔をしていた。
銀縁のメガネをかけなおしながら、和泉が小さく笑う。
「たそがれるのもいいけど、気をつけないと。お前の従妹が黙ってないよ」
「――余計な真似を」
人のいい和泉を睨みながら、弓木が臍を噛む。
和泉は転校生だが学内トップの成績をほこる優等生で、穏やかな気質の人格者。
そして問題の弓木。弓木は鈴鹿の従妹だ。鈴鹿のほうが二ヶ月年長だが同い年で、地域では有名だった美人姉妹をそれぞれの母に持っている。その母たちの美貌をそれなりに引き継いで、鈴鹿と弓木は生まれた。
色素の薄いさらさらの髪と、ぱっちりしたこげ茶の瞳。白い肌。健康的に整った容姿は活発な気質の弓木を魅力的に見せていた。ただし、その性格があまりにも活発すぎて、本人や周囲が思うよりはモテないというのが現実ではあったが。
「もう少しおとなしくしたらどうだ。そうすればモテるんじゃないのか。俺みたいに」
鈴鹿が小さく微笑してやると、無言で弓木がマジックを鈴鹿の眉間へと伸ばした。思わず鈴鹿が立ち上がり、半歩ほど身を引く。弓木の顔は本気だった。
「性格不美人がよく言う」
「……いい勝負だと思うがな」
ヒトサマの顔に躊躇なくマジックを伸ばす人間には言われたくない。
鈴鹿が眉を寄せ、まっすぐで艶の深い黒髪を撫で付けた。
「誰がお前みたいな女に惚れるか。俺が地球上に残った三人の中の一人で、選べる相手がお前と俺なら」
俺、こと鈴鹿が二人いるという設定には目を瞑り、鈴鹿はきっぱりと宣言した。
「俺は間違いなく俺を選ぶだろう。精神の安息のために」
マジックの黒い突端がコンマ数秒で鈴鹿の顔面めがけて飛び、鈴鹿はとっさに上体をかがめて後ろに距離をとった。長いまつげの奥から従妹を睨む。
「少なくとも、俺は寝首をかかないからな」
「あのねぇ」
困った顔で和泉が笑う。
「おれからしたら、どっちもどっちだよ」
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