過去の楔

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からんからんからん 客の入店を知らせる乾いた鐘の音──、さして気にする風もなく、カウンターに寄り掛かるように座る天パの青年はグラスを仰いだ。 […………ほんとにいい根性してる。] 白い携帯のスピーカーを耳に当てたまま店の敷居を跨いだ客は、鮮やかな水色の髪。癖の強い跳ね毛を布製の帽子に押し込め、露になった海色の目は不機嫌な光でカウンタ─の男を写した。 [真っ昼間から酒に呑まれるなんて、どこの昼行灯? ] 彼は携帯を掲げた格好で、つかつかと男の背後に近寄る。男は一瞬びくりと震えた後、ゆっくりとした動作でその情けない様を旧友に晒した。 […出雲……] [お久し振り。それにしても相変わらず君は下等だよね、酒を飲む暇はあるのに俺の着信は一切拒否するなんて。] 黒髪天パの青年の、赤紫色の眼前に突き出された画面には『暴田 隣』という彼のフルネームが呼び出され続けていた。 [しつけんだよお前…] [うるさいな。今日が特別な日でさえなければ、俺だってこんな真似しないよ] 出雲の反対側の手に握られている花束から、紙の擦れる音がやけに大きく聞こえた。 [はっ、『特別な日』? なにが特別なんだよ] [……。] 一斉に床を凝視する花たちは黄色や白や、黄緑で、誰が見ても献花にしか見えない。 [ダチが目の前で殺されたの日の、どこが特別だってんだ?! ] [少なくとも…世間ではそれを命日と呼んで故人を忍ぶんだけどね] 長い睫毛の下で光を曇らせる、海の瞳。声は掠れ始めた。 [勝手にやれよ…俺は行かねぇ。俺は、俺はまだあいつが死んだなんて認めてね] [俺だって! ] 狭い店内にも関わらず、声を張り上げる出雲に店主のみならず客や店員の全ての視線がこちらに集まった。 →
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