36人が本棚に入れています
本棚に追加
安倍晴明が何故有名なのか(考察)
史実はどうか知らないが、私なりに考えて導き出した結果をまとめてみようと思う。
まず安倍晴明と言えば、平安時代中期の有名な陰陽師。実力も地位も、なかなかのものだったとか。しかし、実力で言ったら賀茂保憲や光栄も負けず劣らずであるし、地位で言ったら晴明の子や孫たちの方が上である。
では、何故安倍晴明がそんなに有名なのか?
平安時代、安倍家は賀茂保憲から天文道を受け継いだ。そして晴明没後も晴明の子息達は活躍していた。政敵の多い藤原氏などからは特に頼りにされていたようで、安倍家は陰陽師の家系として確立した地位を築いていたのである。
そんな中、様々な陰陽師に纏わる逸話が書かれる訳だが、子の吉昌たちが行った事なども、過去の功績から安倍晴明がした事柄として書かれたようだ。これは、実際におこった事柄と晴明没の時代を重ねあわせれば出て来る。
この事から、晴明に実力があり、特別視されていた事は伺える。
しかし何故、その特別視が後世まで残っているのだろうか?
安倍家は賀茂家を押し退けるほどに宮中での力を手に入れ、それは陰陽道が嫌煙された室町の一時期以外はずっと続いていた。江戸時代でも同様である。陰陽師はよほど重宝されていたと見える。
町人に陰陽師が伝わり、物語として親しまれたのもこの安倍家が力を持っている時である。
つまりどういう事か?
安倍家はおそらく、自分達の陰陽師としての大元にあたる安倍晴明を尊敬していたのだろう。そしてその時代、陰陽師と言ったら安倍家であった。
つまり、物語などを介して得た陰陽師の情報は、安倍晴明についてのものが大半だったのでは無いだろうか?
だから今なお安倍晴明が陰陽師としては限り無く最も有名であるのでは無いだろうか。
(日記引用)
最初のコメントを投稿しよう!