帰郷。

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母親には口癖がある。   それは、 「ごめんね。」 だった。     小さい頃からそんなに裕福ではなくて、特に女姉妹に囲まれた男は何かと我慢することが多かった。     小さい時の話ではあるが、家族間の事は多数決で決められることがほとんど。   姉と妹がタッグを組めば、それこそお手伝いや見たいテレビ、夕食のおかずまで決められた。     今となっては笑い話だが子供の頃は子供なりに疎外感を覚えたものだ。     ちなみに、一人暮らしをするまで一人部屋になったことがない。         そんな多勢に無勢でいじけている時に、決まって母は男に謝った。   「いつも我慢させてごめんね。 何もしてやれなくてごめんね。」 と。     別に母が悪いわけではない。   悪いわけではないが子供の時は、わけもわからず母にあたっていた。     今思えば母は怒りや悲しみの逃げ道を作ってくれていたのだろう。      今思えばであるが。   そんな幼少時代に男に当てられた手紙だった。   もらったときは恥ずかしかったけど、読み返せば返すほど気が弱いがとても優しい母の温もりが伝わってきたのは覚えている。     友達を連れてきた時は嫌な顔一つせず、何人連れてこようが夕飯を作ってくれた。   お節介焼きで男の友人の悩みや相談などもよく聞いてくれた。   恋人を連れてきても、すぐ仲良くしてくれた。   父親は反対していたが、夜の世界で働くことを認めてくれたのも母親である。     男にとって男の母は理想の母親であり、理想の女性でもあった。         いつしか、片付けが思い出探しになりつつある。     次に出てきたのは、一枚の写真だった。     父親と男が肩を組んでカラオケを歌っている写真。     この時はびっくりした。   当時父親は男が夜に働くことを反対していて、一切の連絡を絶つと半ば勘当気味に見送られたものだ。     なぜなら真面目な父親は、男に大学を卒業してもらいたかったのである。   卒業してからでも遅くはないと、しつこく説得された。   もちろん、男の将来を考えてのことである。     結局、色ぼけしていた男にそれがわかるはずはなく、たんかを切って出ていったのだが。         しばらく気まずくて連絡をとらずにいたのだが、夜の仕事も板についたある日、父親がいきなり飲みにきた。
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