快楽殺人について

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神国崇拝思考というのは、完全に価値観そのものが“神の国というのは素晴らしい” という考えの元に成り立っているわけである。 その反面、自己否定思考の人間というのは、自分そのものの価値観を下げている。というわけである。 “神の国”という表立った面はあったとしても、自分という存在が矮小で、捨てても良いモノと考えている。  私としては仮説として後者を取りたい。 というのも、“神の国”と日本を定めていたのは国である。 つまり、社会である。社会というのは酷く残酷で、国民一人一人を管理するなどもっての外であり、そんな面倒臭い事はしないからである。 とすれば、国はどういった方法を取るか。 簡単である。それを常識と思い込ませれば良いのだ。
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