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車は走り出した。
「……剣道」
流れ行く景色を眺めながら、博人はぼそりと呟いた。頭の中には一年前の光景が浮かんでいる。
「……平野先生」
途中で窓から桜が見えた。花見には最適かな、と思いながらもまた呟いてしまう。桜で思い浮かぶ人物がいたからだ。
「……俺があの時負けなければ……」
「ヒロくん」
急に名前を呼ばれ、現実に引き戻された。それは運転席に座る母の声。
「なに?」
「さっきから独り言が気になるなあと思って」
「……ごめん」
「別に悪いわけじゃあないんだけどね。ただ、なにか悩みがあるなら聞くけど」
「……大丈夫さ」
「なによぅ……」
塔子は口を尖らせた。
博人はまた窓の外に視線を移した。
(……知らん。もしもの話なんて知らん。もう忘れよう)
そして、静かに瞳を閉じた。
「……ロくん!ヒロくん!」
「う……?」
博人を揺り起こしている人物がいる。うっすらと目を開ければ、それは塔子だった。
自分でも知らぬ間に寝ていたようだ。博人は頭を振って完全に目を覚まそうとして、
目の前の母がブラとパンツだけという格好であるのに気付いた。
「っ……!」
思わず絶句してしまう。
「起きた?ちょっと頼みたいんだけど」
対して塔子はまったく気にしていない。やはり親子だから気にしないのだろう。息子は気にするが。
「その前に服着ろ!」
「その服に関してなのよ。ほら、この服」
塔子はそう言って一着の服を博人に見せる。それは背中についているファスナーで留めるタイプの服だった。これは確かに一人で着るのは辛い。
「……手伝えってか」
「そうなのよ。お願いね」
「わぁったよ……」
「じゃあお願いね」
そう言って塔子は服を着て、背中を博人に向けてくる。そこから見える肌にドギマギしながらも、博人は無事、何事もなく作業を終えた。
「……って、ここはどこだ?」
落ち着いたところで塔子に訊いてみた。
「ここは新居よ。もう業者さんも帰ったわ」
塔子は平然と言ってのけた。
辺りを見渡せば、大きな物は定位置に置かれている。業者がやったのだろう。
「なんで起こしてくれなかったんだよ」
「だって……」
塔子はもじもじとしながら恥ずかしそうに続けた。
「寝顔が可愛くって……」
博人は脱力した。
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