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「んだてめ……うっ!」
男は自分の手首を掴む者を視界に認めると、さっきまでの威勢はどこへやら、急に顔を青ざめさせ、固まってしまった。
「二度とこいつに手を出さないってんなら今回はこれで勘弁してやる。意味が分かったならさっさとうせろ」
ロン毛が睨みを効かせながらそう言うと、
「は、はいぃぃぃ!」
男は情けない声をあげて一目散に逃げていった。
その様子を見て、博人は呆気にとられていた。逃げていく男をまだ睨んでいるロン毛に目を向けながら。
やがて男が見えなくなったのか、ロン毛は博人の方に身体を向けた。その顔には独特なワイルドさ。少し怖い雰囲気も醸し出している。
「大丈夫か?」
ロン毛は博人の頬を見て、心配そうに訊いてきた。博人は頬に手をやりながら、
「ああ。大丈夫。それより助けてくれてありがとう」
返事ついでにお礼も述べた。
「なに、俺とお前の仲じゃねえか」
ロン毛は親しげにそう言って、博人と肩を組んだ。その顔には笑み。
(俺とお前の仲?)
その言葉が引っ掛かる。博人は別にこのロン毛を知っているわけではない。初対面だ。けれど、ロン毛は博人を知っているようだった。
「どうした、博人?」
ついには名前まで呼ばれる始末。こいつは知り合いに違いない、と博人は確信するが、浮かんでこない。おそらくまだ博人が子供の頃、一度目の引っ越しの前に友達だった者。そこまでは推測出来るが、肝心の名前と顔が浮かんでこない。
「い、いや、えーと、その……大変失礼ながら、どちら様でしょうか?」
おずおずと訊いてしまった。
「……は?」
相手のロン毛が顔を歪ませた。それも当然だろう、と博人は納得している。向こうは覚えているのに、博人は覚えていないのだから。
「なに?お前、俺の事覚えてねえの?はー……ショックだわ……」
ロン毛は残念そうに組んでいた肩を離し、溜め息を吐いた。その様子を見ていて気の毒に思った博人は、せめて名前だけでも教えてもらおうと思った。
「あ、あのさ。名前を教えてくれないか?思い出せるかも知れないから」
懸命に博人は言った。
「覚えてねえのに名前だけ聞いて思い出せるわけねえだろ。名前を教えろ?はっ、るっせ」
ロン毛は不機嫌そうに鼻で博人を嘲り笑った。
その仕種が、より正確に言えば、最後にロン毛が放った言葉が、博人の記憶を覚醒させた。
子供の頃。いろんないたずらをして大人を困らせて。そして笑い合って。
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