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だが、博人は母には文句を言わない。なによりも苦労をかけてきたからだ。
12年前、博人の父親は死んだ。その時より、母は未亡人となり、それでもくじけずに博人の為に必死に働いた。今でこそ安定した収入が得られているものの、相当な苦労をさせた事には間違いない。博人はそんな母に面倒をかけたくなかった。
「んでさ、転校っていつぐらいになりそうなんだ?」
話題を逸らすように訊いてみる。塔子は考えながら、
「うーん……一週間後くらいかな?学校には明日連絡しておくから心配しないでね」
とだけ言って、自分の作業に戻った。
「一週間か……」
博人にはそれが長く思えた。辛く苦しい一週間だ。だが、逆に言えばたったの一週間。それだけ我慢すれば――
(――俺は……逃げられるんだ)
後ろ手に隠した竹刀を強く握り締めながら、博人は唇を噛んだ。
それから一週間。
気付けば春休みに突入していた。
クラスの連中は、博人の新たな門出を祝してくれた。親友も、悪友も、担任も。
それでもどこか満たされないモノを感じてしまう博人はしかし、部活が終わってすぐに帰宅した。
その途中、自宅までもうすぐそこだというところ。
「…………」
電信柱に背中を預け、腕組みをしながらこちらを見つめる少女を博人は見た。やや茶髪に見えるその髪を、ポニーテールにまとめている。
その前をなにも言わずに通り過ぎようとすると、
「……なによ。わたしには挨拶もなしってわけ?」
思い切り服を引っ掴まれ、その歩みを止められた。
「なにか話すことでもあるか?」
素っ気なく博人が言うと、その少女は口をヘの字に曲げ、
「あっそ!せっかく元同じ部のよしみでお別れを言いにわざわざ来てあげたのに、そんな事を言っちゃうんだね!あんまりこの平野彩香様を嘗めるんじゃないわよ!」
元とわざわざの部分を特に強調して言った。
「……そうだな。最後に平野に剣道部を代表して聞いてもらおうか」
それに呼応するかのように、博人は少女――平野彩香に向き直った。
「な、なによ」
その態度に平野が少し怯み、それでも気丈に負けじと睨み返した。
博人は、深々と頭を下げた。
「あの時はすまなかった。俺は、弱かった」
平野は突然の博人の行動に驚き、言葉を失っていた。
数秒そのままでいて、博人は顔をあげた。
「今更、だよな。それだけだ。じゃあな」
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