条約明けと建造計画

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条約明けと建造計画

第一次世界大戦が終結した間もない時の列強海軍の強さの順位は、 一位、イギリス 二位、アメリカ合衆国 三位、大日本帝国 の順番だった。 帝国海軍では日露戦争のさいの日本海海戦の大勝利を踏まえ、戦艦対戦艦の主力艦隊決戦で勝敗を決するという考えが一般的であり、それに基づき仮想敵国であるアメリカ艦隊が太平洋を渡って来たときに徐々にその戦力をそぎおとし日本近海で戦艦を主力とした艦隊で決戦を挑もうと考えていた。 これを「斬減撃滅戦法」と言い、そのための艦隊拡充計画に、八隻の戦艦と八隻の巡洋戦艦を建造する「八八艦隊計画」を実行しようとしていた。 一方、アメリカ海軍では日本に対抗するために「ダニエル・プラン」という艦隊拡充計画が考えられていた。 この時、戦争で疲弊していたイギリスは、この建艦競争が続けばいずれ海軍力一位の座から滑り落ちると危機感を募らせ、時のアメリカ合衆国大統領ハーディングに話しを持ち掛けハーディングの提唱によって開かれた軍縮会議が「ワシントン軍縮会議」であった。 この軍縮会議のせいで帝国海軍が進めていた八八艦隊計画は戦艦「長門」、「陸奥」だけに留まりあとは流れてしまったのである。 日本海軍は戦艦等の軍備拡充に制限を受けるが、しかし、昭和に入り日米関係が悪化すると条約延長には応じないと日本海軍は決意。この期限切れを待っての新戦艦建造の気運が一気に高まったのである。
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