僕の本当の体験…

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夏休みにお婆ちゃんの家(母親の実家)に泊まりにいった時の話です……。 お婆ちゃんの家は宮崎県のN岡市K方町のH之影と言う所にあるのですが、昔此所はM峰鉱山と言う鉱山で栄えたそうです……。 しかしその裏には、中国の人々の多くの犠牲があって成り立っていたそうです……。今でもそこには中国人慰霊妃がありますが、僕のお婆ちゃんの家は、その慰霊妃から小さな橋を渡って真ん前なんです……。 先に書いた橋の下にはもちろん川が流れています…。僕はその川で泳いだり、釣りをしたりして楽しみました……。 その川で夏休みの思い出として叔母さん(母の義理の姉)が写真を何枚が撮ってくれました…。 そして、家に帰り何事もなくご飯を食べ、風呂に入り、寝床につきました……が夜中に何故か川の水の音がヤケにうるさく感じ目が覚めました…。 時計を見ると午前2時を少し過ぎた位で、風は少し肌寒く寝苦しい訳ではなかったのですが、何となく橋の方(慰霊妃の方)が気になったので、窓から外を見てみたんです……。 すると……。 大勢の人が橋を渡り慰霊妃に向かって歩いていたんです……。 オカシイ…!?こんな時間に灯も持たずに大勢で…? 目を凝らして、よく見ると片足や片腕、中には顔半分が腐食し無くなっている人などが、数多くいたのです…。 僕は怖くなり、布団に潜り込み夜が明けるまで眠れませんでした。 後日、この話を叔母さんに話すと僕の遊び過ぎで疲れていたんだろうと流されました…。 その後、何もなく過しましたが、帰り際に叔母さんが僕に、 「たぁ~君」「あんたを撮ったカメラ壊れてるかもしれんわ」 と言うので、理由を聞くと、シャッターが思う様にキレなかったらしいんです…。 安物だしフィルムさえ残ってればいいと、受け取って帰って現像に出すと、ヤケに枚数が少ないんです……。 気になってカメラ屋のおじさんに聞くと、「見ない方がいいよ…こっちで処分するから」 と渡してくれなかったんですが、どうしてもと僕がせがむと渋々渡してくれました……。 その写真全てには、人の顔や腕が無数に写っていました……。 後日、お寺で焼いてもらいましたが、今でも思い出すと寒気がする写真ばかりでした…。 この写真を撮った場所にはまだ話がありますが、それはまたお話します…………………。
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