・清原和博“塁上六本木事件”

2/2
74人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
高校を卒業した1年目から、秋山やデストラーデを差し置いて4番を任されていた西武時代の清原和博。              巨人へ移籍後は『番長』と呼ばれるようになったが、宿敵・巨人を倒した日本シリーズで涙を見せたように、西武の頃は初々しさがかいまみえる青年だった。              そんな清原の独身時代。              『今よりもお遊びがお盛んだった』と、複数の関係者が声を揃える。              主砲としてチームを引っ張っていたころのデーゲーム・ロッテ戦。              7回先頭打者で四球を選び塁に出た。              試合は西武が大量リード。              一塁手に『はよ終わらへんかの!』と軽口を飛ばすと              『そう言えば、「堀(ロッテ)を連れてきて」と言われてたっけ』と、ネオン街のお姉ちゃんからの頼まれ事を思い出した。              まだ携帯電話も普及していない時代のこと。              試合を終えるとビジターの選手はバスで移動してしまう。              堀とコンタクトを取るチャンスは限られていた。              次の打者・デストラーデがショートゴロを打つと、2塁に果敢にスライディング。              その瞬間、ベースカバーの堀に向かって『オマエ、今日10時に六本木な!』と大声で叫んだ。              ショートからボールを受けた堀は1塁に転送しながら『了解!』と答えたとか。              (完)
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!