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部屋に入ると、彼女は不思議そうな表情で僕を見つめる。
『…あなたの名前は?』
『僕は藤木敦史と言います。』
『私の友達ですか?』
そう言われて辛かった。
『いや、彼氏です。結婚も約束してました。』
『そうなんですか?私、全く思い出せなくて…』
『いや、焦らなくてもいいから、ゆっくり思い出していこうよ。』
『でも…』
『大丈夫。僕にとってつぐみは最愛の人なんです。だから、はいさよならって訳には行かないよ。記憶がないなら、また記憶を埋めていけばいいんだし…』
ドアの向こうで啜り泣くお母さんの声が聞こえる。
『ちょっといいかな?』
そこへお父さんが僕に話かけてきた。
ロビーに移動して、間もなくお父さんが重い口を開いた。
『実は…つぐみと別れてくれないか?』
『どうしてですか?』
『君も感じているだろうが、つぐみはもうおそらく記憶が蘇る事はないだろう。そんな娘にこの先、未来ある君を巻き込みたくないからなんだ。』
『未来?未来は彼女じゃなきゃ僕は…』
『わかってくれないか。あの状態で娘は君の存在を理解出来ないまま生きて行くんだぞ?そんな事…そんな事…』
お父さんが泣き崩れてしまった。
初めて見たお父さんの行動にもめげる事なく僕は言った。
『自分の存在が今無くなったのなら、また一からやり直せばいい事です。今彼女を見失ったら僕は何も手につかなくなります。彼女を支えさせて下さい、お願いします。』
『敦史君…。』
僕はあらためてつぐみともう一度向き合っていこうと心に誓った。
それから僕は毎日毎日病院に通い、つぐみの傍にいた。
大部屋に移動し、知らない人達と打ち解けていくつぐみを見て少しずつではあるが彼女自信に余裕が見え始めていた。
『その方つぐみさんの彼氏?』
と、隣りの綺麗なお姉さんが言う。
『そう…らしいです。』と意味不明な言い方をつぐみがするもんだから、みんな困惑気味な顔をする。
『私、記憶喪失なんです。』
『え?』
『なんか記憶喪失なんですってわかってないのに言うのも変ですよね。』
そんなセリフを聞くと僕は胸が痛い。
偽装カップルではないのに周囲の目線が痛い。
事のいきさつを僕が話し始めるとお姉さんは『そんな事ってドラマや映画の中だけだと思ったけど、本当にあるんだ…』
『あるみたいです』
だからやめろって(苦笑)。
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