ある夜

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友人では、二人目でした。 また、涙は流れませんでした。 形式に従い事態を淡々とこなす内に、 僕はあることに気づきました。 “それでも、僕は生きている” そのことに気づいたとき僕を襲ったのは、 猛烈な吐き気であり、 絶望であり、 空虚感であり、 虚しさであり、 そして、歓喜でした。 彼女の未来は断たれ、 僕の未来は“まだ”あり、 彼女は呼吸を忘れ、 僕はまだ、呼吸を覚えている。 憂い、悲しみ、悲哀に満ちてさえ、 僕は、生きている。 息を吸い、 息を吐き、 夢を追い、 形骸化された日常は過ぎていきます。 “まるで何もなかったかのように” それはあたかも、 他人とは、日常を形成する欠片のひとつに過ぎないかのような、 否、正確には、 その当たり前の現実を目の前に突き付けられ、 しかし彼女の死では、僕を殺せない。 ――生きている。 彼女が死んでさえ尚、僕の形骸は何も変わらない。 僕が真に嘆いたのは、死そのものではなく、 (勿論それは嘆くべきことですが) 死という存在の大きさと、 そして、 そのあまりの小ささでした。 その事実に絶望し、 全く同時に、 細く歓喜しました。 悲しい悲しい悲しい悲しい。 けれど、この悲しみだけでは、僕は死なないのです。 息が苦しくなり、 胸が締め付けられ、 悲しみ、 悲しみ、 嘆き、 けれど僕は、日常に戻っていきます。 否、正確には、戻ってしまっています。 香典を包み、 今月もやっぱり金ないなぁと感じた時に、否応なしに、 僕は悲しみの余韻という異質から、 現実の僕にシフトします。 死によって訪れた非日常は、いつの間にか日常となり、日々に馴染んでいく。 馴染んでいる。 その程度には、僕は、現実を生きる資格があるのだと諭すように。
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