ある夜

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今のところ不滅なものに、言葉があります。 今こうして言葉を綴る行為は、僕の心にある感情に近い日本語を綴ることであり、僕の心と全く同一のものではありません。 感情とは、量子のように、曖昧な上に成り立つ未確定のものです。 しかしそれを言葉として仮託した瞬間に、それは僕という枠からはみ出した、他人と“ある程度”共感できる媒介になる。 言葉に共感を覚えるのは、自分の中にそれと似た感覚があって、触媒を通じて加速されたそれらのひとつが感情になるからです。 だから、そういう性質を持つ言葉を量産できれば、それだけ他人の中に生き長らえる可能性は高くなる。 けれど、不思議なことに、そういう言葉の多くは、そういうことを軸には産まれてこない。 生き、活き、慈しみ、愛し、何気なく発したものにこそ、そういうものは宿る。 彼女の間際の言葉があります。頭から離れない。けれどここには綴るまい。 あれは彼女が、彼女の母に向けたはずの言葉だから。 それを聞けた僕は、全く幸運だと言わざるを得ない。ただの偶然なのです。  けれど、なのにどうして、あの言葉はこんなにも胸に残るのだろう。  クオリアの概念。マリーの部屋。共感性があっても、同一であることは証明できない。 つまりそれらは、意図して生まれてこないし、この感覚は彼女のそれと同一であることは有り得ない。 だとしても、言葉はふとした瞬間に浮かんできては、僕の心を締め付ける。 まるで、忘れるな、って言ってるみたいに。 幸福で在り続けることなどあり得ません。 存在すれば意味が宿るなら、それはなんて幸福なのでしょう。 なんて卑しさ。このきっかけだからこそ、僕は、上を向いた。
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