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ある人から聞きました。
悲しみは拭わなくてもいいと。ただそのままでいいのだと。
すっと、何かがはまったような気がしました。
悲しみは拭えば拭うほどに、その剥き出しの刄を見せる。
受け入れることでしか、僕は悲しみを受けとめきれない。
そのままでいい。その通りです。
僕には、それしかできない。
彼が悲しみを共有したいのは、私ではない。
村山由佳氏が言いました。
悪戯に悲しみを振り蒔いても、それは苦痛でしかないのかもしれません。
悲しみの種を蒔けば蒔いた分だけ、悲しみを共有できるまで、育てなければならない。
悲しみの性質を間違えば、その分だけ、僕は悲しみを追体験しなければならないのです。
或いは、今の悲しみまで、相手を引き上げなければ、それはまた、意味のないものになってしまう。
相手の気持ちが何であれ、それが善意であっても尚、受け手は僕です。
悲しみは、歓びのようには分かち合えない。
悲しみは、受け入れるしかない。
それはなんて、悲しいことなんでしょう。
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