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何かあった? って偶にきかれます。
何もなかった。
否、何もなかったんじゃない。
何もないということがあったです。
叫び、慟哭に紛れて尚、何も得られない。
この渇きが満たされるなら、なんだってしよう。
けれどその方法すら、全く解らないのです。
或いは、逆説的な意味で、僕が誰かと繋がっているときに、寂しいとか悲しいとか感じたら、それは信頼の証明であり、それだけ気を許しているという証明なのです。
それは、僕はひとりであると実感できるから。
なぜなら僕はひとりだからです。
悲しみを、受け入れようと思います。
これは誰もが通る道であり、
これは誰もが感じる感覚であり、
これは誰もが知る痛みのはずなのです。
僕だけが特別なわけではない。
けれど、もう少し時間が欲しい。
この悲しみは、やたらと粘着質だ。
本当にこの悲しみは、それだけに起因するのか確かめる必要があるみたいです。
また、ひとりになろう。
けれどもう、ひとりじゃない。
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