「私だけの旋律(メロディ)」 2004年9月 掲載作品

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「私だけの旋律(メロディ)」 2004年9月 掲載作品

 私には、ちょっとした特技がある。それは、道行く車のエンジン音を聞き分けることができることだ。  エレベーターがスムーズに上昇するような音で走るのは大型高級車、重く低い音が地面から響き渡るのはワンボックス車、軽くて高い音がまるでノックをするかのようにリズミカルに聞こえるのは軽自動車、といった具合に。  その中で、とりわけ私が大好きな音がある。私の部屋の前で低速にして、エンジンブレーキをかける時の一段下がる音。全開だったエンジンが、緩やかに静まってゆく音。その音が聞こえると私は急いで窓から顔を出す。見慣れたRV車から顔を出した彼が、照れたように微笑んでいる。そう、私がこんな特技をできるようになったのは、彼を好きになってからだった。  私の部屋の壁は薄く、通りを走る車の音は以前からよく響いていた。時に行き過ぎる車の中での楽しい笑い声までもが聞こえてきそうなほど、エンジン音は華やかなメロディーを奏でていた。それでも彼を好きになるまでは、それらの音は耳を通り過ぎるだけだった。  彼を好きになってから部屋の外で車の音がするたび、私の胸の鼓動は早くなった。約束はしていないけれど、もしや彼の車が来たのではないかと期待して窓を開けた。でも最初は予感がはずれて失望の繰り返し。ある日とうとう念願が叶った時は、いつも想いを表に出さない彼が驚きと喜びの入り交じった顔で私を見つめてくれた。それからは彼のそんな顔が見たくて、私は行き過ぎる車の音に耳を澄ませた。そして自然と車のエンジンを聞き分けることができるようになっていた。  今日も私は一人、部屋の中で耳を澄ませている。私にとっての特別な旋律が聞こえてこないかと。そして大好きな笑顔も期待して。
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