「無言のマスカラ」 2005年8月 掲載作品

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「無言のマスカラ」 2005年8月 掲載作品

 ビューラーでまつげを切ってしまった。ビューラーとは、まつげを上下から挟んでカールさせる器具のことである。ビューラーについているゴムが劣化してしまうと、むき出しになった金属が直接まつげを挟んでしまう。それはハサミで切るのと同じ原理になり、それゆえにまつげがカットされてしまったのだ。  私は小さい頃から、「お人形みたいなまつげ」と周囲に言われ続け、自分自身でもチャームポイントと自負していた。メイクをすることが少ない私だが、自慢のまつげだけは毎日カールさせることを忘れなかった。  でも今、私の右目のまつげは不自然なほど直線状に揃っている。しかもそれは根元から二ミリくらいしか残っていない。「このままでは外へ出られない」私は泣きたくなった。  仕事から帰ってきて、私の顔を一目見た彼は「あれ?」と言った。彼の視線は私の右目あたりにある。私のヘアスタイルが変わっても、新しい服を着ていても、私から言い出すまで気付かない人なのに、よりによってこんなことに気付くなんて。彼はそれ以上何も言わなかったが、私はその日一日中、彼に刺々しい態度を取ってしまった。  翌日、彼は黙って私に薬局の袋を手渡した。袋を開けるとマスカラが入っている。パッケージには「まつげを長くボリュームアップ」のタイトルと共に、「まつげの育毛促進成分配合」の文字。化粧品など買ったことのない彼がよく見つけてくれた、と驚くと同時に、落ち着かない態度でマスカラを選ぶ彼の姿が目に浮かんで、頬笑ましい気持ちになる。  誉め言葉や私の喜ぶ言葉を言ってくれない不器用な彼。でも彼の無言の優しさに、気持ちを伝えるのは言葉だけではないということに気付く。だから私も感謝の気持ちを込めて、彼の広い背中を抱きしめる。  私のまつげは、今日も元気に上へ向かってカールしている。
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