250兆分の1の奇跡

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250兆分の1の奇跡

   19XX年冬    大阪府吹田市に生まれる。    やや未熟児で生まれ 最初片肺が膨らまないらしく保育器へ入る。    2週間後 状態が回復した。    ,,,,らしい。    僕はこの事を 親から聞いた記憶がない。    生まれた時 父はそばにいなかった 酒に溺れていたらしい    それも親から聞いた わけではない。 何一つ 教えてはくれなかった。    『250兆分の1』    この数値は 精子が卵子に受精する 確率だと とある番組で見て知った事だ。    みんなが存在してる事は 天文学的数字を乗り越えての事    今存在し生きている事が 幸せである事の証だ。    それを忘れてはならない。    どんな親だろうと どちらが欠けても アナタは存在しないと言う 現実を忘れないでほしい。    今好き勝手出来るのも 両親がいたから 両親がいるのも お爺ちゃん お婆ちゃん達が居たから。    繋がってるんだよ 昔からずっと。
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