第2章の5

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それでグラスを傾けると、あたかも今その瞬間にグラスの中から水が溢れ出てきたように見えるってわけさ。 “グラスを逆さにすれば、水は零れる”という皆の先入観と、だからあらかじめグラスの中は空っぽだったという思い込みがややこしくしていただけで、真相は単純なことだよ。 誰にだって真似できるマジック。 あの薄暗い修道院の中なら、水で満たされたグラスも空のグラスも、一瞬では見分けられないからな。 そこを上手く利用したってわけ」 ギルバートの講釈を聞き終えて、私は軽く肩を落とした。 そうか、確かに昨日、この若者は私に“先入観を捨てろ”と言ったのだったな…。 やれやれ、たかだかこんな蓋1枚に騙されるとは…確かに私は頭が堅いな…。 私は無言で、手の中の透明な物体を眺めた。 「あの男は大胆不敵で、実に巧妙なのさ。 誰にでもできることをして、それがさも神の力であるかのように見せることのできる…。 ここ数ヶ月で俺は、奴の計算高さに正直感心したね」とギルバートは言った。 この生意気な若者に、こうも言わせるとは、例のペテン師はよほど強かな男なのだろう。 「奴がやっていたのは、手品ばかりじゃないってことかね?」 私は自分の手の温度で、すっかり温められた例の手品の仕掛けを、ようやくテーブルの上に解放した。 「なんていうのかな、“人生相談”?そういうこともやってたわけ。 つまりそうだな。 どこぞの大地主が、借金塗れで苦しんでいると聞くと、どこぞの工場主を連れてきて、大地主の娘と結婚させたりするわけさ。 たかだか手品ごときで、大物ばかりを騙し続けるには限界があるだろうから、エドワードはそういう地道な方法で信頼を勝ち得てもいたんだよ」 「そうか、とんだ“悪党”だ…」 今まで私も、長い刑事人生の中で、詐欺事件を扱ったことが何度かあるが、ここまで大物ばかりを多数狙った、用意周到で大胆かつ綿密な計画は初めてだった。 しかし、次にギルバートが口にした見解は、私のそれとは相反するものだったのだ。 「奴は本当に、ただの“悪党”なのかな…?」 呟くように発せられたその言葉を、私は一瞬聞き間違いかと思った。 「君は奴には悪意が無いとでも言うのか?」 私の至極当然とも思える問いに、若者は少し首を捻ってから、悪戯っぽく笑って言った。 「さぁ、どうかな」 …“どうかな”って…。
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