第6章の2

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観衆は、今や誰もが逃げ惑っていた。 誰もが、在らん限りの出入り口から外へ出て行こうとして、そこへ殺到した。 もはやこの男は駄目だと思った。 このペテン師は、今や単なる殺人犯だったのだから…。 「皆さん落ち着いて下さい」と男は言った。 そんなムチャクチャな注文、今更誰が聞く? 私は心中で、このペテン師を嘲った。 しかし、男は大変通るその声で、次にこう言ってみせたのだ。 「安心して下さい。 神の力が、彼を生き返らせます」 殺人犯がそう言ったら、その騒々しさは少し和らいだ。 馬鹿なことを…と、私は思った。 そして何もかもが全て滑稽に見えた。 「貴様、この期に及んでよくもぬけぬけとそんなことが言えたものだな。 ギルバートを生き返らせる?そんなことが出来るものか!どこまで我々を愚弄すれば気が済むのだ!貴様は殺人の現行犯で私が逮捕する」 殺人犯が、ようやく私の目を見た。 「あなたは強かな人ですね、警部さん。 まぁ元より私は、あなたが私の言うことを信じて下さっているとは、これっぽっちも思っていませんでしたが」 私はようやく、自分を見失っていたことに気付いた。 やはり私のような素人演技では、この男を騙せはしなかったということか…。 しかし今となっては、そんなことはどうだっていい。 今はただ、ギルバートの代わりにこの殺人犯を死刑台に送ってやらねばと…ただ今は、そう思ったのだが…。 目の前の男は、司祭服のポケットからある物を取り出した。 それはこのペテン師が、聖水と称して皆に分け与えていたガラスの小瓶だった。 先刻のパニックは、今何処へ去ったのか。 ペテン師が右手に掲げるその小瓶を、聴衆は逃げ出そうとした状態のまま見つめていた。 男はゆっくりと、私の傍らにやって来て、そして、力無く横たわったギルバートの身体の上に、まんべんなくその小瓶の水をかけた。 エドワードが、短剣を突き刺したギルバートの腹の上に、そっと手を翳す。 そして一瞬の間の後ーーー。 私は夢でも見ているのではないかと思った。 閉じられていた若者の目が、薄く開いたのである。 「ギ…ギルバート…?」 私は思わずその名を呼んでいた。 生き返る筈などなかった、その若者の名を…。 「警部…どうしたんだ、そんな青い顔して…」 私は膝から床の上に崩れ落ちた。 ギルバートが声を発したのだ。
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