第8章の1

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「嘘だろう…。絶対に嘘だ…」と、若き弁護士がベッドサイドに立ち尽くして言った。 私とて、そんな馬鹿なという気持ちである。 あの娘は一体何者で、何故この男は、あれ程の金を持っていながら、こんな場所に住んでいて、そして何故突然死んだのか…。 分からないことだらけであった。 まるでタチの悪い夢でも見ているかのような気分だ。 「目を開けろ、てめぇ!!勝ち逃げするつもりか!!絶対に許さねぇ!!」 烈火の如く、激しく取り乱すギルバートを、私は在らん限りの力で押さえ込んだ。 「お…落ち着け!」 「この卑怯者!このまま逝くなんて許さねぇぞ絶対に!!戻って来い!!」 若者の瞳の中から、何か光るものが零れた。 それが滴となって、彼の頬を伝い落ちる。 抵抗するギルバートの両の肩から力が抜け、両膝から床に崩れ落ちた。 彼の気持ちは痛い程によく分かる。 長い警官人生の中で、私とて、生きて真犯人を逮捕できなかった時程、悔しいことはなかった。 「何故だ…?何故この男は死んだんだ…? 自殺か?外傷はないようだし、どっちみち解剖してみないことにはな…」 エドワードが、本当に死んでいることをこの手で確かめながら、私が独り言のように口にした時、ギルバートがそれに答えて言った。 「肺の病気さ」と。 「いつか修道院で、こいつと近くで対峙した時、結核患者独特の臭いがした」 私はいつか、ギルバートが言っていたのを思い出した。 『早くしないと、逃げおおされる』という言葉を。 あれはこういうことだったのか…。 ギルバートは、このエドワード・フェニックスという男が、そう長く人々を欺き続ける気がないのではないかと言っていた。 彼は、この男がもう長くないことに気づいていたのだ。 私は床の上で、枯れたようにうなだれる若者を抱え起こした。 仕方がなかったんだよ、としか言いようがなかった。 本当に、仕方がなかったのだ。 間に合わなかったのだから。 私とて、本当に辛かった。 来た時とは逆に、私が無理矢理ギルバートを連れて部屋を辞すると、玄関の前でまだあの娘が泣いていた。 私が「君は誰だい?」と尋ねてみても、口がきけないのか、彼女は黙って首を振るばかり。 私は諦めてエドワードの家を出ることにした。 長い帰り道を、この気の抜けた若者を連れて、どうやって引き返そうか途方に暮れながら。
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