第1章の3

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第1章の3

「彼女の気持ちがいつか救われることを私は願うよ。たとえどんな形でもね」 もはや食えたものではないミートパイを、フォークの先でつつきながら、私はかつて高名だったピアニストのことを口に出していた。 「優しいなぁ警部は」 言いながら、ギルバートはキッチンの丸テーブルを挟んで、私と向かい合ったまま、先刻の号外を広げていた。 このアパートの室内は、その外観から察するよりも数段広い。 特にほとんど私物の無いギルバートの部屋では、それが一層顕著に感じられた。 「俺も同じとっつかまるなら、警部みたいな情の厚い刑事にワッパかけられたいね」 一体どんな悪さをしてきたというのか…。 目前の若者が、自分で言った冗談にバカウケして、ケラケラと腹を抱えて笑い出した。 この男の悪意がどの位のものなのかは知らないが、このほとんどゴミにしか見えない食べ物を、私だけに食べさせておいて、自分は腹が減ってないからと、一向に口をつけようとしないのは一体全体どういうわけか? これではまるで、私が、作った本人の代わりに毒見をさせられているようなものだ。 “ミートパイです”と言われなければ、もはやそれが一体何なのかさえ言い当てることの難しくなった物体を一口、勇気を振り絞って口に入れた瞬間、食欲など一気に萎えてしまった。 もう一口、口に放り込むなど自殺行為に等しい。 「遠慮せずに食えよ」と、相変わらず号外にその目を落としたまま、ギルバートは私に二口目を催促してきたので、私は恐る恐る兼ねてからの疑問を口にしてみた。 「ギルバート、君は自分で作ったものを、かつて味見したことがあるかい?」 「嫌だなぁ、そんなこと食べて分からないの?」 ………。 この答えはYESなのだろうか?NOなのだろうか……? 私はもうそんな謎の物体をじっくり相手にするのはやめて、無意識の内に視線で彼の部屋を散策していた。 前にも何度か見たことはあったが、引っ越してきてすぐの頃も今も、その簡素なイメージは変わらない。 見る影もなく汚れてとっちらかったキッチン以外、生活していく上で最低限の必需品しかそこには見当たらなかった。 本当に、ここでどのように生活しているのか疑問に思えてくる程に殺風景だ。 私は思い切って彼に尋ねた。
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