第一章

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   青年は困ったように苦笑いを浮かべながら、一万円札を取り出す。 「一応は、路上芸やっててもらったお金ではあるんだけどね」  嫌みっぽい含みはなく、何かを懐かしむような瞳で一万円札を夕日に透かす。 「……まあ、どうでもいいけど。私は受け取らないわよ。それが相応だとは自分で思わないもの」 「そうかい」  青年は一気に飲み干すように缶を掲げた。 「ごちそうさま」 「もう行くの?」 「ああ。そろそろ日も沈むからね」 「行くあてはあるの?」  話を聞く分には、その日暮らしの生活をしているようであるし、見物料に一万円を出したとは言え、旅をして回っているなら余裕があるわけでもあるまい。 「まあ、一応はね」  曖昧に頷いて、青年は立ち上がる。 「縁があったら、またどこかで」  青年はにこりと微笑んだ。  少女は自分の缶に口をつけたまま、無言で頷く。  微笑と一礼を置いて、彼は歩き出した。  結局、再び人形劇を手伝ってもらう約束すらせずに、少女は夕日の落ちる方向へと去っていく青年の背中を見送った。 「ま、いっか」   またどこかで会えばその時にでも交渉してみればいいし、会わなければそれはそれで仕方のないことだ。  そう考えて、少女は一気に缶を煽った。  そしてふと気がつく。 「名前くらい訊いた方が良かったかしら……」  すでに見送った背中は影となって夕日の向こうに消え去っていた。 「ま……いっか」  やはり次に会った時で良いと、何故だか再び会える予感だけを感じながら、少女は帰路についた。  吐き出された煙が広がり、わずかな間だけ世界を隠す。  青年は目を細め、その煙った視界で世界を見据えた。  そよ風が煙をさらって、再び目の前がクリアになる。  しかし、青年にとってそこに見える世界は決してクリアではなかった。むしろ、逆であるとさえ言っても良い。  そして、偽りの鮮明を求めて、青年は再び煙を吐き出す。 「煙草、吸う人なのね」  降ってきた声に振り返ると、制服姿の少女が立っていた。 「やあ、おはよう。これから学校?」 「今日は日曜日よ?」  言葉とは裏腹に、少女が身に纏っているのはどう見ても学校の制服だった。  時間帯的にも、学生が登校する時間と言って差し支えない時間である。 「まあ、学校に行くのは当たり。授業じゃないけれど」  
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