第一章

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   やはり不機嫌そうな顔で少女はフェンス越しに二人の目の前に現れた。 「早いじゃん。走ってきたの?」 「こんにちは」  しぐさの事を無視して、少女はツツジの方に頭を下げる。  透き通るようなソプラノは不機嫌さとは無縁の澄んだ声だった。 「ああ、こんにちは」  頭を上げても不機嫌そうな表情は顔に張り付いたようにそのままだった。 「紹介するね、こちらお兄ちゃん」 「いや待て。それは君の俺に対する二人称だ。紹介するなら三人称で紹介しないと」  実際、少女の不機嫌そうな顔には僅かに混乱が見て取れた。 「あなた、一人っ子って……」 「そうでした。えっと、ツツジさん。旅人よ」 「どうも、旅人です」  少女は二度目の会釈をする。 「で、この子は妹ちゃん」 「いや、今一人っ子って指摘されたばかりだよな? 妹いないでしょ?」 「しぐさ、ちゃんと紹介して」 「おっと、ごめんよ」  しぐさはわざとらしく後頭部をかいて誤魔化す。  少女は不機嫌そうな顔に今度は呆れたような表情をプラスする。  そうやって見ていると、もしかしたら不機嫌そうな表情がデフォルトなのかもしれない。 「改めて紹介するね。『お上さんとこのお嬢さん』だよ」 「よろしくお願いします」  三度目のお辞儀。今度のが一番丁寧だった。  しぐさの紹介の仕方にツッコミを入れないのは、そう紹介されるのに慣れているからだろうか。 「お兄ちゃんが一緒に人形劇をした子の妹さんだよ。姉妹だから、どちらも『お上さんとこのお嬢さん』ね」 「なるほど、そういうことだったのか」 「あたしは『お嬢』と『妹ちゃん』で呼びわけてるけど」  少女は不機嫌な表情のままピースする。それで了承しているらしい。  しかし、シュールな絵だ。 「ああ、ええと……俺はなんて呼べばいい? 名前はなんて?」 「『妹』でいい」 「え、しかし……」 「そう、呼ばれ慣れているから」  不機嫌な表情に変化はない。しかし、不思議とやはり不機嫌そうな雰囲気ではない。  しぐさも、「本当だよ」と頷く。この界隈では当たり前のことなのかもしれない。郷に入っては郷に従えと言う。 「じゃあ……『妹さん』でいいかい?」  少女はこくこくと頷いた。 「妹さん、一体あの窓から何をこちらに向けて放ったん──だ」  言ってから気づく、その手に握られている物に。  
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