第一章

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  「へ、変態! スケベ! 痴漢!」  青年は悪びれる様子もなく、少女のポケットからくすめた人形を手に持った。 「ちょっと、それ!」 『やや、ごめんよ』  突然聞こえた耳慣れない声に、少女は辺りを見回す。  いや、何が起こっているかは薄々気づきながらも、思わず疑ってしまったのだ。 『ちょいっす。こんにちは』  声に合わせて、人形がお辞儀をする。  無論、青年の指で無理矢理動かしただけだが、人形がしゃべったようにも見える。  何故なら、青年の口はまったく動いていなかったからだ。 「腹話術……」 「ま、別に腹話術である必要はないけどね。こういうことも出来るってこと」  青年は少女から奪った人形を差し出す。  狐にでもつままれたような表情で、少女は人形を受け取った。 「何か、やってたの?」 「ちょっとした路上芸をね」  青年はにこりと微笑む。 「さて、何かお手伝い出来ることはないかねぇ?」  少女は少しだけ挑戦的な笑みを浮かべた。  それは誰かに対する挑戦ではなく、敢えて言うなら、自分に対する挑戦だった。  市民館の小さな多目的ルームを借りて、毎週土曜日の午後からそれは催している。  少女のマリオネットだけでなく、学生の吹奏楽や、地元の有志参加者によって、ささやかな娯楽を提供する場として、開かれていた。  中でも少女の『操り人形』は、年少者を主に対象としたものであった。  ホワイトボードで仕切られた“舞台裏”で、青年と少女は短い時間で打ち合わせをする。  聞くと青年はあまりマリオネットは得意じゃないらしい。  出来ないこともないが、今までは別の人形芝居をしてきたという。  それが、パペットによる腹話術だ。  青年の荷物の中から口のあいた人形が取り出された。  パペットとマリオネットの異色劇になりそうだが、逆に斬新かもしれない。  少女はそれで了承した。  問題はストーリーだ。急に用意できるものじゃないし、セリフだって覚える時間はない。 「アドリブで出来るものをやればいい。童話なら、流れさえわかってればどうにかなるんじゃないか?」  確かに、と少女は頷く。  童話なら、もともと小さな子どもに聞かせる物語だから、セリフだってそう難しくはない。  全てアドリブというのはさすがに不安だが、やってやれないことはないだろう。 「いいわ、童話にしましょう」 「よし。じゃあ題材は……」  
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