砂に泳ぐ魚

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夕美は大学時代、絵の勉強をしていた。 芸術の世界に埋没しているものと、はなから自分の才能に何の期待もしていないものとの差が、歴然としていた場所だった。 芸術を愛し、それこそが自分の生きる道と信じていたものでも、 才能を花開かせ、世に認められ、 それを生活の糧に生きていける数は、あまりにも少なかった。 ほとんどのものが挫折し、別の道へと流されていった。 夕美は宙ぶらりんな存在だった。 絵を描くことは心から愛していた。 才能もそこそこあった。 やる気もあった。 しかし、ある時を境にぱったりと描けなくなってしまった。 周囲にそれなりの評価をもらっても、そこそこの才能はそこそこでしかなく、 それなりの評価も夕美を励ますことはなかった。 不満だったのではない。 夕美自身の才能は、夕美自身が誰よりよくわかっていた。 夕美には描きたい絵があった。 画家として身を立てたいなどと、たいそうな夢を持っていたわけではなかった。 その一枚が描ければよかった。 生涯でたった一枚の絵。 けれどその一枚が描けなかった。 頭の中のイメージは漠然としていた。 真夏の陽射しのように遠く近く揺らめき、夕美はついにそれを掴むことができなかったのだった。 それが今、目の前にある。
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