砂に泳ぐ魚

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夕美の砂になった体のひと粒は、男の体にとどまっていた。 男はベランダも念のため確認し、そこにも夕美がいないと知ると、戸惑いながらも薄闇の中、服を身につけはじめる。 街の様子が一変していることに、まだ気付いていない。 夕美が男のためだけに用意した灰皿をキッチンから持ってきて、 夕美がハンガーにかけたスーツの上着からタバコを取り出し、床に坐る。 最初の一本に火をつけ、深々と吸う。 吐き出された煙が部屋中を駆け、天井にのぼっていく。 男はその行方を見届けると、ふと思い出したように床をひと撫でする。 先程までの砂が、きれいに消えている。 奇妙なことだ。 ベッドの上からも、ひと粒残らず消えてしまったようだ。 それにしても夕美は一体どこへ行ってしまったのか。 男ひとりを残してどこかへ行くことなど、これまでの夕美には考えられないことだった。 共に過ごせる時間が短いぶん、夕美はいつでも濃厚なふれあいを求める。 いつの間にかタバコの先の灰が長く伸びていて、男は慌てて灰皿を引き寄せる。
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