砂に泳ぐ魚

3/61
前へ
/61ページ
次へ
思えば、この男がわたしのために何をしてくれたというのだろう。 かつて、一度でも本心からわたしを心配してくれたことがあっただろうか。 愛してくれたことがあっただろうか。 心からの嘘のひとつも、ついてくれただろうか。 夕美は来週三十になる。 二十代のほぼすべてを、この男に費やしてきた。 心も体も、すべてを捧げてきた。 男が通いやすいよう、引っ越した。 男に言われれば、金も融通した。 「金がない」が口癖のような男のために、必死に働き、少しでも貯金を増やし、 身勝手な男の気まぐれな「会いたい」という言葉のために、 それこそ分刻みで時計を気にし、 時には仮病を使って仕事を早退し、 友人との約束をキャンセルした。 そのあいだに、男は妻を迎え、子どもをつくり、家庭を持った。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加