砂に泳ぐ魚

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男は、夕美が人生の中ではじめて愛していると実感した相手だった。 これが愛しているという気持ちか…… と、叶わないと知った瞬間に、涙の味とともに理解していた。 多くても十日に一度、少なければ数ヶ月に一度、ふらっとやってくる男のためにアパートを借り、ひとり暮らしをはじめた。 愚かだと、夕美自身わかってはいた。 男が結婚しても想いを捨て切れなかった自分。 男の妻が妊娠したと聞かされても、男にしがみつくしかできなかった自分。 思えば、いつか自分をふり返ってくれるなどと、都合のいい夢を見ていたのは、付き合いはじめたごく初期の頃だけだった。 男がどれだけ耳ざわりのいい言葉を口にしようと、所詮は通り過ぎていくだけの男だとわかっていた。 それなのに、いったん抱いてしまった、大学を出たてだった夕美の青い夢は、 数え切れないほどの苦痛と年月に擦り切れ、 いつの間にか妄念じみた想いへと変質してしまった。
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