37人が本棚に入れています
本棚に追加
もう愛していない。
三十を目前にした夕美は、ここ数年、心のどこかで感じ続けてきたその事実を、痛みとともに受け入れようとしていた。
そんな単純な事実を認めることにさえ痛みを伴うほど、夕美の八年は重く暗く、三十年の人生を占めていた。
部屋のカーテンが青みがかる頃、男がようやく体の違和感に気付いたのか、身じろぎし、目を覚ました。
男の体から、夕美の一部がさらさらと、ぱらぱらと、こぼれ落ちる。
「夕美」
まだ寝ぼけた声で、男が夕美の名を呼ぶ。
隣にあるはずの姿がないことに気付き、呼びかけても返事がないことで、男はベッドをおりようとした。
男はそこではじめて違和感の正体に気付いたようだった。
訝しに眉を寄せ、シーツの上の砂をひとすくい掴む。
細かい砂は、男の指の間をすり抜けていく。
「夕美」
男はふたたび夕美を呼ぶ。
さっきよりも幾分しっかりした声で。
全裸のままベッドを出る男を、夕美はやけに冷静に観察していた。
自分とは無関係な遠いことのように、眺めていた。
裸で抱き合って眠ることも、夕美はこの男から覚えたのだった。
それまでの恋人は、もう少し慎みというものを持っていた。
最初のコメントを投稿しよう!