コーラの泡

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買い物に向かうために自転車を漕いでいると、風のせいか左目のコンタクトレンズがずれた。 左目が痛みで開けていられなくなり、私は慌てて自転車を止める。 「おかあ、どしたの?」 自転車の後ろに乗せていた息子が心配そうに尋ねてくるので、私は「大丈夫。ちょっとコンタクトレンズがずれちゃっただけ」と説明をした。 この現象は、コンタクトを使用しているとよく起こるのだが、洗浄液のある自宅ならまだしも外で起こるとなかなか大変だ。 私は左目を何度も瞬いてコンタクトレンズのずれを直そうとしたが、なかなか直らない。 「おかあ、こんてくとがずれたときはね、た~くさんなくといいって、おばあがゆってたよ」 「なるほど」息子の助言通り、私は左目を何度も何度も瞬いて涙を流した。目の痛みのために涙は勝手にどんどん流れ出てくる。 この調子ならすぐに痛みは治まるだろう、と考えていると、私はふいに十数年前に飼っていた猫のことを思い出した。 別にコンタクトと関連があったわけではないが、なぜか思い出したのだ。 猫の名前は、キー。 とても優しくて、賢い猫だった。 いつも眩しそうに目を細めていた気がする。私がキーの方を見ると、必ず目を逸らした。 しかしだからといって懐いていなかったわけでもなく、しょっちゅう私の上に乗ってきた。朝、急いでいる時も、背筋の真っ最中でも、お構いなしに。 それなのに、自分の気分が乗らない時は無理矢理膝に乗せても逃げるから猫らしい。 キーはコーラのペットボトルを置いておくと必ずそれをおでこで押して倒した。そしてしゅわしゅわと弾ける泡を長い間見つめていた。窓にへばりついたヤモリを見つめていることもあった。 キーは何かを見るのが好きな猫だった。 今は年老いた弟猫に意地悪で、しょっちゅうパンチを喰らわせていた。しかし本当はとても弟想いだったのを私は知っている。 キーは優しい猫だった。私がつらい時は必ず膝の上に乗って手を舐めてくれた。 キーはかつお節が好きだった。私がたこ焼きを食べていると必ずやって来た。 キーは栗が好きだった。猫が食べるものではない気がするがとにかく栗が好きだった。 キーは不思議な猫だった。 キーはヒゲがピンとしていた。 キーは変な模様だった。 キーは柔らかかった。 キーはかわいかった。 キーは賢かった。 キーは…… 私がはじめて本気で愛した生き物だった。
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