逃げろ!

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 そう、彼は誰から見ても急いでいる。それは確かなことだが、用事に遅れそうだからとか、突然“もよおしてきた”という理由では決してない。 「っそー! いい加減しつこいんだっての!」  道無き道に動かす足を止めず、木々が湧いて尽きない闇色の正面から目を離さずに、虚空に叫ぶ。 「早く! 早く諦めてどっか行けぇぇ!!」  絶叫は心の底からの訴え。しかし当然だがザワザワと揺らぐ木々の呼玉(こだま)以外、返る声は何処からも聞こえる事はなかった。 「――――――」  ――いや、あった。大地さえ揺るがす獰猛な咆哮が、イクスの後方から返って来る。  地響きをより大きくしたような、低い騒音。唸り声。 「だからもう付いてくんなぁぁぁ!」  ……事の発端は、数十分前に遡る。  イクスがちょうど日課を終えて、自身の住む村へ帰る途中にそれは起こった。  修練の疲れから一息入れたくなり、近くの村に立ち寄って休み、ついでに水を少し分けて貰って、あわよくば食べ物なんかも頂ければと一人勝手な期待を持ち、歩みを進めていたのだが、突如として村の外から獣を思わせる大きな雄叫びが響き渡った。  直感する訳でもなく、勘と言う不確かなものでもない、ただ知識として、この土地に住む人間の確固たる経験として、明確に解った。
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