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奈良の大仏は東大寺に在ります。知ってるよな!
でも、その大仏が②~③回(あやふや)焼けてます。一回首が落ちた程です。ぶっちゃけ大仏って大きなハリボテですんで中はスッカスカです。
その大仏っつぁん。名前をルシャナブツと言います。
東大寺に近い土産物屋には必ずと言っていいほど『大仏の鼻糞』なる菓子が売っています。
この大仏の鼻糞について小さな疑問があります。
『対比おかしくね?どぉ~見ても小さ過ぎるやろ鼻糞!』
解らない方は大仏の鼻糞を片手に大仏を見てみよう!
あっ!でね、僕の知る限りでは大仏を焼いた人物は一人しか知りません。
歴史マニアなら解る筈。
そぉ…松永秀久です。
斎藤道三、北条早雲、と列ぶ乱世の三巨梟です。
後に織田信長と戦をし、一時は部下になりますが謀叛をします。しかし負けます。ですが許されてしまいます。
しかし腐っても鯛、秀久は再び信長に謀叛を起こします。この時、秀久は東大寺に火を放ち信貴山城に立て篭もります。
信貴山城に立て篭もる秀久、守るのにも限界が近付いていました。そんな追い詰められた秀久に信長は言いました。
『貴様が持っている茶釜をよこせば命は、助けてやろう』
それを聞いた秀久は、部下に茶釜を持って来させ、それに鉄砲の火薬を詰めさせました。
『貴様にはワシの首も茶釜もやらん!』
そぉ言って秀久は火薬入りの茶釜を抱え火を放ち、爆死したのです。
信長が欲した茶釜とは、かなりの名品だったらしく、秀久一回目の謀叛を許したのも、その茶釜目当てだったみたいです。
信長は大のお茶マニアで、その意思は秀吉にも受け継がれてますし。織田家直系にも風流人が一人います。(信長の息子で、かなり長生きする)
武士の間では茶器や茶道具は、いわばステータス的な意味合いを持っていたそうな…
今で言う、リーマンの腕時計や車みたいなモン。
二度も信長に刃向かい、三度目は自害という形で信長を裏切った漢…松永秀久…彼の死んだ日は、ちょうど彼が大仏を焼き払った日だったそうで、世の人々は仏罰だと言ったそうです。
次回は何にしよぅかなぁ…?何となく書いとくんで…ヨロシク!じゃ!
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