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丙と言えば、かの有名な剣豪『氷雨』の一番弟子で有名な侍だ。
一年以上も前に城下町を去り、以来行方をくらませていた氷雨とその関係者。
その知らせはあっと言う間に町全体に広まった。
「あっちゃー…。失敗したかなぁ…?」
長い髪を高い位置で結んだ頭をがしがし掻いて、丙はしばし思案する。
───『氷雨』。
男は名高い剣豪でありながら、決して人を殺さなかった。
誰よりも命の尊さを知る彼は、一年と半年ほど前、城下町を騒がせていた『辻斬り』を行っていた。
───そう、たった一人の最愛の妹・おみよを守る為。
幕府が反・幕府軍の攻撃を恐れ、氷雨に辻斬りと称して彼らを殺させた。
───たった一人の肉親を人質にして。
勿論氷雨は悩んだだろう。
今までやらぬと決めてきた誓いと、最愛の妹の命。
釣り合わぬ天秤に二つをかけ、彼はどんなに、苦しかったろうか。
結果、彼は辻斬りの道を選んだのだ。
一日一日ごとに増えていく罪無き命の重さ。
耐え切れなくて、彼は助けを求めたのだ。
たった一人、自分が弟子にした男───丙を。
『お前にその、覚悟はあるか?』
凛とした口調。
真っ直ぐな瞳。
女忍者・風音が言ったあの言葉は、時を置いた今でも丙の耳に残っていた。
結局、最後の最後まで気付くことは無かった。
───否。拒否していたのだ。
受け入れ難いその真実を、自分でも知らぬ内に脳が、心が拒否していた。
それでも無情にも現実を突き付けられて。
丙は身の内の『何か』が壊れるのを感じた。
───そして。
「ひ、さめ……さん…?」
気付いた時には、目の前にくずおれる我が師匠・氷雨と、右手に握った血糊のついた細身の刀。
その後のことは、実はあまりよく覚えていない。
ただ、芯の強い瞳に射ぬかれ、力強く優しい腕に支えられて。
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