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眼前に輝く二つの満月は、霞がかった男の思考を蘇らせるに充分だった。
天から大地を照らす月、水面からその輝きを放つ月。
逆さの月を孕んだ水面に口付けする鹿の親子。
美しく平和なこの場所で、戦いに生きた自身の生涯を終えるのも悪くは無い。
そう、男は思った。
適当な岩を見つけ、腰掛ける。
本来ならそれに身を任せてしまいたい程に憔悴しているのだが、背に刺さる矢がそれを許さない。
鉛のような身体を手で支え、決して座り心地が良いとは言えない岩の上から輝く月を見た。
剣を抜き、翳す。
蒼い光を浴びた剣は、まるでそれ自身が輝いているかのように見えた。
騎士の道に憂き身をやつしてからは、このように風情にまどろむ事など無かった。
平和の旗印を掲げ、自分がしてきた事はなんであったのか。
救うべき世を顧みる事もせず、ただがむしゃらに剣を振るっていただけでは無かったか。
「汝も、月か」
水面にふと、投げ掛ける。
愚者に英雄、老若男女。
等しく照らす、夜半の月。
男はゆっくりと近付き、輝く雫を口に含む。
渇きが潤う感覚を、最後の喜びとして感じながら、男は静かにその瞳を閉じたのだった。
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