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それは正に、寝耳に水の報告だった。
-日奈子が生きている。-
行方不明になってからどれくらいの時が流れただろう。
いなくなった当初は警察も自分たちも血眼になって捜したが、3ヶ月、4ヶ月が過ぎてまず警察が目に見えて情熱をなくしていき、次第に自分たちも最悪の結果が頭を過ぎり始めた。
1年が経つ頃には、悔しいがもうこの世にはいないのかもしれないと思うようになってしまった。
父はしばらく悲しみに暮れて会社も休みがちだったが、ある日突然人が変わったように猛然と仕事をし始めた。
そうすることでしか吹っ切れないと、自分で納得したのだろう。
家族がいる以上生活があるし、傲慢かもしれないが私の為にというのもあったのかもしれない。
母も専業主婦だったが、あとを追うようにパートを始めた。
殆ど家族全員が揃っていた夕食の食卓からはまず日奈子が消え、父が消え、そして母も完全ではないが消え始めた。
休日も、家族で遊びに出掛けることはなくなった。
私もその時にはもう中学生で、部活に入っていたからある程度は良かったが、部活が休みの時にはやはり寂しくなかったといえば嘘になる。
でも、父も母も同じように悲しいんだと思うと、あまり弱音は吐けなかった。
だから家で両親と顔をあわせる時は出来るだけ明るく元気な素振りを見せ、余計な心配をかけないように勉強も頑張った。
その甲斐あってか高校も進学校に進むことが出来、大学も国立に合格した。
訳の分からぬまま過ぎていった大学の一年目を経て、ようやく大学生活にも慣れてきた矢先のその報告。
ケータイ越しで話す母も心ここにあらずというか、自分の言っている言葉の意味をいまいち理解出来ていないような雰囲気だった。
丁度昼休みだった私は、取るものとりあえず大学を出た。
3限と4限の講義がまだ残っていたが、出席日数は充分に足りている。
サークルの友達がどちらの講義も受けているので、今度ノートを見せてもらおう。
やはり、行ってみないことには何もわからない。
自宅へ向かう電車とは違う電車に揺られること数十分、目的の警察署がある街についた。
細かい場所については聞いていなかったのでどうしたものかと思っていると、改札の向こうに父と母が雁首並べて立っているのが見えた。
互いに言葉を交わすことなく駅前のロータリーでタクシーを拾い、母が目的地だけを簡潔に告げる。
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