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形式上は料理屋ということになっている。小春は紅平におずおずと酌をしていた。ぐいと猪口を飲み干す紅平。
「旨い!さ、小春ちゃんも飲んで」
「は、はい」
一息に飲み干す小春。
「お!小春ちゃん、イケるクチだねえ」
「はい。父上の晩酌の相手をよくさせられていましたから」
と、小春は(しまった)という表情になり、俯いてしまった
「ふ~ん。ねえ小春ちゃん、もしかしてお武家様の出じゃないのかい?」
小春は何も答えず、ただ俯くばかりだった。
「ま、いいさ。ここじゃあ昨日も明日も身分も何にも関係ねえ」
俯いたまま小春が言った。
「あの、紅平さんはご本を書いてらっしゃるんですか?」
「ああ。滑稽なもんから色々ね。こういう岡場所の体験記を書く風俗見聞屋もやってるぜ」
「でしたら世間様の裏の事情にも通じてらっしゃいますね?」
「ん、ん~まあねえ」
急に、小春は紅平にすがりついてきた
「あら積極的ね、小春ちゃん」
小春は、真剣な顔で紅平に取りすがった。
「仕度人をご存じありませんか?」
それは先程までとは、うって変わった激しい口調だった。小春は続けた。「恨みを、恨みをお金で託せる方が、この江戸にはいると、聞いた事があります。ご存じありませんか?」
今度は、紅平の顔が真剣になった。何かを言いかけたが口を閉じ、小春の手を振り払い、背中を向けた。
手酌で酒を飲みながら答える
「知らねえなあ。噂じゃ聞いたことはあるけどよ。だが金で人の命をどうこうする連中だ。関わらねえ方がいいよ」
「そうですか…」
小春は明らかに落胆していた
「飲み直そうよ!時の過ぎるのは早いよ」
「はい」
雨は小降りになったが、まだ止んではいなかった。春とはいえ雨の夜は冷える。安酒では温まりきらぬ体を、小春の体で温めようと、紅平は華奢な体を抱き寄せた。行灯を消す。
ふと、暗闇の中で紅平は気付いた。
小春の目に涙が溜まっているのを。
(泣いている…?)
小春の体をまさぐる手を、一旦止めた。
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