仕度ノ一「許したくない、ワルがいる」

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「で?お主は最後までいたしたのだな?」 「ああ、悪いかよ」 上野不忍の池。昨夜の雨が嘘のように晴れ渡り格好の花見日和である。八分咲きとなった桜の木の下。青い洒落た着物を着た侍と、紅平は盃を酌み交わしていた。 「女が泣いているというのによくその気になるものだな」 いずれかの直参の旗本であろうか?それにしてはくだけたところもある侍に見えた。町人である紅平も遠慮せず対等の口をきく 「てやんでえ。こちとら金を払ってんだ。止められるかい」 「だからお主は女にもてぬのだ」 「う、うるせえなあ」 侍は名を清河蒼乃助という。総髪を後ろにたばね、涼しげな切れ長の目。鼻筋も盃に寄せる唇も、どこか気品がある。 「誰がもてないって?」 二人に若い女が近付いてきた。どこにでもいる町娘といった身なり。小柄で目が大きく愛嬌のある顔をしている。からかうように彼女は言った。 「まあ、もてないって言ったら紅平のことだよね?」 「うるせえやい!」 「ちぇっ、小桃にそんなこたあ言われたくねえな」 小桃と呼ばれた女は紅平からぐい飲みを取り上げ飲み干した 「ははは、悔しかったら早くいい人でも見つけるんだね」 「あ、こいつ、勝手に飲むんじゃねえよ。それより・・・」 小桃からぐい飲みを取り返し紅平は周囲を見回した。そして声を顰めて二人に言う 「なあ、久方ぶりに、やらねえか?仕度をよ」 仕出弁当の鰆をつまみながら蒼乃助が答えた 「ふむ。面白いかもしれんな。その、小春とやらの頼みを聞こうというのだな?」 小桃はかぶりを振った。 「ええ?危ないよお。老中が松平になってから隠密同心だの火盗改めの平蔵だのあたいらを捕まえようって連中が目え光らせてるんだからさあ。玄竜も黄次郎もいないんだよ?」 紅平が少し声を大きくして言う 「けどよお、いい加減仕度また始めねえとよお!」 紅平のぐい飲みになみなみと酒を注ぎながら蒼乃助が制した 「声が大きい。まあ誰かに聞かれる距離ではないがな」
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